こんにちは。まりです。
ひとつ前の記事で東日本大震災当時お付き合いをしていた彼の経験談を書かせていただきました。
▼その記事がこちら
以前、私も自分の震災経験を振り返った記事を書きましたが、彼との内容には触れていません。触れられなかったのです。
▼私の経験談はこちら
今回の記事では彼と私の当時の関係性を勇気を出して書きたいと思います。
そして『どれだけ時間がかかっても大切な人とは絶対に向き合える時が来る』ということと『人を支えるとはどういうことか』についてお話しさせてください。
心に蓋をしていた6年間
高校2年生の終わりに地元宮城県気仙沼市で震災が起き、その後彼とは約1年一緒にいました。
そして高校卒業と同時に私から彼にお別れを告げて以来、私はこの6年間ずっと心に蓋をして、彼とのことを見て見ぬ振りしていたように思います。
それから彼とは全く連絡をとりませんでしたが震災から7年が経った今、勇気を出して彼に連絡をとりました。
「カウンセラーとして今後人の支えになりたいと本気で思うなら、当時の彼との関係をきちんと振り返らなければ、カウンセラーになんてなれない」
と私の心が声をあげたのです。
そう、あの頃の私は彼を支えることを最後まで全うできなかったから。
付き合い始めて〜震災発生まで
隣の高校に通っていた彼とは高校2年生の時、震災が起こる約3ヶ月前から交際がスタート。
そして震災が起き、ひとつ前の記事で彼に語ってもらったように彼は震災によりかなりの被害を受けました。
そんな彼を支えたい。当時本気で思っていました。
私視点での彼との日々
当時の後悔を思い出すと自分の未熟さを感じとても苦しくなるけど、しっかりと振り返りたいと思います。
自分が支えになることへの不安
震災後、彼のことをどう支えようか。自分になにができるのか。毎日すごく悩んでいたのを覚えています。
私ひとりじゃ彼を支えることに対してのできることが限られてしまうので、家族にも協力してもらい、私の家族が彼の居場所になるように心がけていました。
時には、彼の気持ちを読み違えて彼が望んでいないおせっかいに近いこともしてしまったかもしれません。
そんな中ずっと心の中には不安がありました。
私は彼よりも被害が少ない。そんな私がいくら励ましたって「どうせお前には分からないだろう」と心の奥で彼に思われているんじゃないかと。
今考えると彼はストレートに気持ちを表現してくれる人間性だったので、そんなことはなかったんじゃないかなと思います。
それでも当時の私は勝手に彼の発するちょっとした言葉の一つ一つを重く受け止め、気にしてしまっていたのです。
そしてだんだんと、私自身が辛くなってしまったのです。
ただひたすらに与えることの辛さ
それから、この頃の私は無償の愛というものを分かっていなかったのです。
当時の私は「与えること」と「与えられること」のバランスがとれていないことに悲しみを覚えていました。
すごくおこがましい話ですが、どうしても私の方が与えているような感覚を感じてしまっていたので、それが辛くて耐えられなかったのです。
きっと、何一つ与えられてないなんてことはなくて、しっかり与えられていたと思います。
頭でっかちになっていて気付かなかったんだろうなぁ。
そして無償の愛のカタチに気づいていれば、与えられることなんて求めなくて済んだはずです。
自分が輝ける居場所を見つけた
そんな不安や悩みを抱えたまま彼のそばにいた時に、偶然出会ったボランティア。
以前の記事にも書きましたが、ここでの活動によって自分自身の存在意義を感じたり、自分のやりたいことを見つけました。
▼その記事がこちら
次第に私は、一番近くにいる支えるべき存在よりも自分が輝ける居場所を大事に思うようになりました。
最終的に
私は逃げるように彼から離れてしまいました。
彼が私を必要としていたこと、私がいなくなることですごく傷ついてしまうことは分かっていました。
それでもその時は自分のことだけに目がいってしまっていたんだと思います。
それから6年間ずっと心残りだった
彼と別れてからの生活ではボランティアなどを通じて得られたものが沢山あります。
そこで得たものが今の自分を作ってくれているとも思います。
だけどやっぱりあの時、自分のことだけを考えて彼の手を離したことはその後6年間ずっと心残りでした。
そしてそのことを認めるのが怖くてここまで見て見ぬ振りをしてきました。
きっとこのまま一生見て見ぬ振りをしたままなんだろうなって心のどこかで思っていたけれど、本当にふいに「彼と向き合わなければ」という気持ちになることができたのです。
彼と向き合えて
急な私の連絡にも関わらず、彼はとても温かくに接してくれました。
別れた当時やっぱりすごく辛かったみたいだけど、私や私の家族への感謝の思いを持って強く生きようとしたと彼は話してくれました。
当時のお互いの視点からの感情を伝え合うことができて本当に良かった・・。
これだけ時間をかけて人と向き合ったのは私にとって初めての経験でしたが
『向き合うべき時期が来たらちゃんと向き合えるということ』を身をもって感じました。
心にかかっていたもやもやがスッと晴れて色んな感情が溢れ出したのか彼と連絡を取り合ってからは数日間涙腺がおかしかったです・・。
心がすごく温まった気がしました。
人を支えるということについて
そして『人を支えるということについて』
あの時は支えることへの怖さもあったし気持ち的にも無理をしていたんだと思います。
7年がたった今の私が思うことは
「自分なんかが・・」とか「これで正解なのかな・・」とか悩む必要はなくて、自分ができることを自分なりにやればいいということ。
相手のことを全力で想う。これだけで十分。
そして昔の私なら自分ばかり与えていると思うかもしれませんが、自分が居ることで相手が笑顔でいてくれる。そのことに幸せを感じられればそれで十分だということにも気付きました。
そして何より、手放さないこと。
当時の私は考えすぎて分からなくなっていたけど意外とシンプルなことでした。
最後に
いくら悔やんだって過去にはもう戻ることはできません。
せめて今私にできることは後悔を後悔のままで終わらせないこと。
7年経って沢山のことにようやく気付けたのでこれからカウンセラーとして活動する時の私の基盤にしたいと思います。
気付かせてくれて、ありがとうね。彼の幸せを心から願いたいと思います。
[…] 東日本大震災から7年かけてようやく向き合えた大切なこと […]